こんにちは、田原と書いて
タバルと読みます。
株式会社いいねフォトの
代表カメラマンです。

1980年代後半、大学時代に西日本新聞社の編集局でアルバイトしていた頃にカメラに興味を持ちました。
もちろんその頃はフイルムカメラで、24枚に全てを賭ける撮影でした。
今のようにデジタル化されていなかったので、一枚一枚が緊張と決意のシャッターだったんです。
それから縁があり広告代理店業務の西日本新聞広告社へ入社して、本格的に撮影を開始しました。
その頃はカメラモードには一切触らず、Pの『プログラムモード』だけで撮影をしていて、もちろん『絞り優先』や『スピードモード』など不要なくらい、プログラムモードで酔いしれていました。
1990年代に入ると、オートモード(自動ピント制御)やデジタルカメラの台頭で時代は変わり、撮影は誰でも楽しめる娯楽の領域に入ってきました。そのなかで一眼レフを持ち歩くことがカメラマンとしステータスだったと思います。
2000年頃から福岡県クラブユースサッカー連盟の撮影の担当をさせていただくこととなり、望遠撮影やスピード撮影など高度な撮影技術が要求されるようになり、高額な高機種な望遠レンズとカメラの購入が不可欠となり人生の後半戦の生き方を決めた頃かもしれません。
そして2019年、自分自身の一代決心で『写真で生きていく』と決め現在に至り55歳での人生分岐点となりました。

楽なことばかりではないけど、
毎回笑顔に会える楽しみ。
自分で決めたことですから、自分ですべてを行う。
当然のことですがこれが55歳を過ぎると結構大変です。
でもこの仕事にはいつも笑顔が待っているんです。
スタジオにお越しになられるお客さまは最初は緊張で顔も硬く言葉も少ない感じですが、いろいろと話をさせていただきます。例えば写真を撮られる時のいいアングルとか、モデルさんはどうやって撮っているのかと、広告ポスターみたな撮影をしてみましょうとか、いっぱいお話をさせていただきます。
そうすると『まるでモデルさんになったような気持ちで楽しかった』っと言って笑顔で撮影を終えることができます。
私はいつも心掛けているのが、笑顔を撮るのではなく笑顔を引き出しのがプロの仕事で、そのあとに『楽しかった』と言っていただくことが時空間を演習するプロの撮影だと思っています。
そんな気持ちを集約した屋号が『いいねフォト』です。
この屋号は私の追求する後半戦の人生のキーワードなんです。
【プロフィール】
田原 正樹(たばる まさき)
通称:バルさん
福岡市博多区上川端町9-33
株式会社いいねフォト 代表取締役
いいねフォト川端スタジオ代表フォトグラファ
福岡県クラブユースサッカー連盟所属広報担当
西日本新聞TNC文化サークル 講師
八番山笠上川端通 役員
博多券番帯同カメラマン
1964年5月14日 神戸市生まれ(58歳)
地元福岡大学卒業後 西日本新聞広告社へ入社
新聞広告やTVラジオ広告・イベント企画などを手がけた元広告マン
東宝映画「ゴジラvsスペースゴジラ」などの映画制作にも参加
稲川淳二氏「怪談」初地方公演なども企画
その他地元自動車学校や商業施設のオープニング企画も着手
カメラ歴はこの頃からでフイルムカメラで撮影を始める

その後家業である造園業や住宅販売業にて数々の販売施工実績を残す
造園業では大河ドラマ「北条時宗」のももち浜ロケ地工事を担当
住宅販売では福岡市内では販売価格1億円の木造3F建住宅などを数々販売する
店舗では太宰府天満宮参道の「明太子店」や「キャラクター店」を設計施工
2019年より企画事務所兼フォトスタジオを開設
プロカメラマンとして多くの写真撮影を手掛ける
フォトコンサルタントとして企業HPをアドバイス
プロカメラマンとしてカメラセミナーを開催
ビジネスサポート・チーフアドバイザーとしてSNSを活用したセミナーを展開中

愛用カメラはずっとCanon
EOS-850(フイルムカメラ)から始まり
現在保有カメラは、EOS-5Dsをはじめシリーズ6機。
レンズもCanon純正を広角から標準・望遠を12本所有。
他社製品がよくてもCanonで撮り続ける拘り。
なぜなら白レンズと言われるCanon純正望遠レンズが大好きだから…。

川端にスタジオがある本当の理由は
実は根っからの『山笠のぼせ』(祭り好き)なんです。
それで夏の間この山笠に酔いしれたくて、ここ川端にスタジオを設けたんです。
社会人になって上司に誘われて出た山笠が切欠で30年以上。
今ではここの役員となり多くの参加者の皆様と山笠を満喫しております。
『山笠があるけん、ここにおるったい!』
(山笠があるから、ここにいるんです!)

2022年7月13日 NHK福岡放送局にて
私を特集したコーナーで紹介していただきました